湯煙コラム


■齋藤陽子
「ふたりのバスタイム」


齋藤陽子

海外ロケが無事に終わり、成田空港に降り立った。

スイッチが仕事モードから切り替わる。

真っ先に頭に浮かぶのは、リビングの角に集まった綿ボコリ、キッチンのフライパンや鍋の洗い物の数々、そしてなんと言っても私の愛娘、いや愛犬のコットンとビスケット(ビッケ)のこと…。

えっ夫のことは?って…出発前にベネチアのホテルからラブコールをいれたばかりで、元気なのは充分承知なのだ。

「あの角を右に…」と早くも私は、タクシーの料金精算の準備にとりかかる。

早く会いたい気持ちに急かされつつ玄関のドアを開ける。

久々のママのお出ましに、ふたりは声にならない。

悲鳴にも似た(クークークー)を足にまとわりつきながら連発してくるのだ。

「あー、また寂しい思いをさせてしまった…」胸が締め付けられる一瞬である。



スーツケースを放り出し、私は2本のリードとお散歩BAGをわし掴みにして、一目散に二人を近所の多摩川へ連れて行ってあげるのだ。

ススキやオミナエシが秋風になびく中、鳥たちが水辺で戯れ故郷信州を思わせる自然がここにはいっぱい。


ふたりのお散歩、普段は体が汚れないアスファルトコースがほとんど。

なぜって、ふたりのシャンプー&ブロウはいくら小型犬とはいえ汗が滲むほどの大仕事なのだ。

今日はふたりがリードをはずしてもらい自由に河原を走り回れる、めったに無い特別な日!なのだ。


今年で4歳になるコットンは、そのネーミングのとおり真っ白なふわふわの柔らか〜い巻き毛に覆われた、フランスはカナリア諸島原産のピジョン・フリーゼである。

体重7キロ、胴長の車高短(シャコタン)典型的な座敷犬だから、多摩川の野原をお友達のワンちゃんと転げまわったりしたら、いっぺんでカフェオレ色に染まってしまう。


一方のビッケはクルクル巻き毛のロングノーズが特徴。

ワイヤーのように剛毛でオイリーな毛に包まれたイギリス原産のワイヤーヘアードフォックステリアだ。

2歳半のやんちゃな遊び盛りである。

そんなビッケは土手に積まれたテトラポットの隙間に顔をうずめて獲物を探している様子。

自然に放り込まれると、どうやら彼女も野性の血が騒ぐようだ。

「あーあ、こんなに口を真っ黒にしちゃってぇ」と思いながらも今日だけは無礼講。

どんなに体が汚れようと、この後は気持ちのよいバスタイムが待っているから…。


家に帰るとブラッシングを済ませ、夫が帰宅するといよいよふたりの入浴タイムだ。


バスタブに30センチ程お湯をためTシャツに短パン姿の夫はまず、ビッケを抱えていく。

普段はやんちゃなくせに、決まってこの時はシッポがお腹まで下がってビビっている。

勢いの良いシャワーの音に怯え硬直状態、それがまたなんとも可愛いのである。

「毛がキュッキュッてなるくらいすすぎもしっかりね!」グルーミングを本業としている友人から教えられた言葉をそのまま夫に投げかけ、タオルを片手にブロウの準備に取り掛かる。

結婚後ふたりの入浴タイムは自然と共同作業になった。


もしかしてこれ、赤ちゃんの沐浴の予行練習かもしれないな?
夫には本当に感謝している。

新婚当初奥様業に憧れていた私は家事の一切合切を取り仕切っていた。

それを当然と思っていたし、喜びに感じていた。

でも家事はエンドレス。

365日休みはないのだ。

私の仕事の分量を増やそうと思ったらどうしても夫の理解と協力が必要になってくる。

食事が済んだら食べっぱなし、ではなく茶碗を洗い場に運んでくれたりテーブルを布巾で拭いてくれるだけでもどんなに嬉しい事か。

不思議なもので、この思いやりを感じた瞬間に体内のストレス数値は一気に0を指す。

こうして欲しいと直訴したわけではないけれど、生活の中で夫は自然な形で手を差し伸べてくれる。


犬の世話もそう、家事のちょっとした手伝いもそう、夫の思いやりに心がジーンとする。

子育ては凄く大変─という話をよく耳にする。

犬の世話なんて比べ物にならないらしい。

そんな日が訪れても私は夫の何気ない思いやりに支えられて、きっと乗り越えられるはず。


ブルブルッ!曇りガラスのドアに大量の水しぶき。

どうやらビッケのシャンプーが終わったよう。

いつもより時間がかかったシャンプーから開放されて、シッポがいつものように天に向かってアンテナだ。

夫の方はといえば水も滴るいい男!Tシャツは汗とビッケがかけた水しぶきでびっしょり。

シャンプーの3回に1回は私がこの、水もしたたるいい女!になってしまうのだけれど、このずぶ濡れは仕方の無いこと。

あーあ誰かガソリンスタンドの洗車機か、キッチン食洗機のような全自動犬洗い機を発明してくれないかしら?
「さあ、今度はコットンだ!」夫の太い声がバスルームに響き渡った。

(文:齋藤陽子)

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